NAMM SHOW 日記 2005 Part1


 いつも通り予定がつかないまま、NAMM SHOWが1週間後に迫っているお正月過ぎのその日。
『今年はNAMMに来なよ?』ってアンディ・フュークスやマイク・ルルにいつも誘われていたんだけれど、どういう訳か毎年その時期に仕事が混み合ったり、私用等でタイミングが合わなかったりで、毎年NAMM SHOWに行く事が出来なかった私。
 地元カリフォルニアのジョン・カラザースは、絶対NAMMに出展するタイプでは無かったし、付け加えて、自分自身もパーティーやフェスティバルといった大勢が集まる場所でのあの独特な熱気とかで、持ち前のドンくささの為に気後れしてしまうのです。日本の楽器フェアなどでは、あちらこちらから声を掛けられてしまい、何処を見ていいのか分からないでいつもウロウロしてしまう事も度々だったし、何年か前にも、5メートル先から挨拶してくれているエレクトロハーモニックス社長のジョージ吾妻さんと桜井さんの所へ辿り着くのに、色んな人から声を掛けられて、一緒にいた北木さんに笑われてしまった事もあったっけ。
 出来れば忙しいNAMM SHOWなんかより、終わった後にゆっくりギターを見に行きたいなあ。NAMMは1日だけ見学して、残りの日は何処かの工房へ行ってギターを製作しているところ見せてもらおうっと、殆ど前の週までNAMMへの意気込みは結構いい加減なものだった。
 「NAMM SHOWへ顔出そうかと思っているんだけれど、ブース番号は?」
メールを出すと、マイクもアンディもジョンもブース番号を知らせてくれた。
「え?ジョン、NAMM SHOWにブースを出すの?カラザースのブース?」
『いいや、17th Street Guitarsのブースにいるよ。ショーが終わったら次の日から工房にいるけど、是非NAMMにも遊びにおいで。』
なんだ、ショーの間は工房に居ないのか。それじゃちょこっとNAMM SHOWへ!

 機内で隣の席だった宝石商社を営むインド系アメリカ人のおじさんは、中国へ商談に行っていたという。今は自分の住むテキサス州アーリントンに何十時間もかけて戻るところなんだとか。
お互いの違う業種への興味の為か、話に夢中で僕達は殆ど睡眠をとらなかった。おじさんは別れ際に『私はトランジットの間、良く寝れるから』と。しまった、ちょっと眠いかも…LAXに到着した時、そう思った。
 LAXからカラザースの工房へ電話してみる。
『ジョンは会場へ行ってるよ。夜帰ってくるけれど。』
(あらかじめその日のスケジュールが入っていてその通りに行動しなければならないという事に、極度の不快感を感じてしまう私は、いつも気分次第で行動してしまう。)
よし。ベニスビーチはあきらめてNAMM SHOW会場へ直行だ!

 車で空港から約1時間、アナハイム・コンベンションセンターがNAMM SHOWの会場。少しの間会場の外を見て廻るが、恐ろしく広大で全く訳が分からない。しかし初日は出展者だけしか入れない筈で余り混雑していないようだし、「おはようございまーす!とか、お疲れ様でーす!」とかで、とりあえずなんとか入れるだろう…と受付へGO。
『MIKE LULLもFUCHSもブースは出ていませんねえ。』
「ええ?そんな筈ないと思うんだけど。ちゃんと調べてよ。それに結構厳しいじゃん。NAMMのセキュリティって。簡単にはパス出来無さそうね。」
後で分かったんだけれど、MIKE LULLもFUCHSもちゃんとブースは出していましたが、受付のおばさんの調べ違い。何せブースの数が多すぎて探しきれなかったようです。
「それでは、このブース番号にMr. John Carruthersが居るのでコンタクトだけでも取って頂けませんか?」
と、今度は受付の白髪の紳士が、呼びに行ってあげるからと。やれやれ助かった。

 ジョン・カラザースは、最近立ち上げたもうひとつの新会社 "17th Street Guitars" のブースにいた。彼がNAMM SHOWに出展するとは思ってもみなかった。いつも1日だけ観に行ったとか、そんな返事だったからだ。聞いてみると、やっぱり今回が初めてだと言う。しかしこの会社のパートナー達を紹介されてそのナゾが解けた。彼等は(コーリン)と(デイブ)という2人共に、実に活気の溢れた若者(38歳と36歳)だったからだ。17th Street Guitarsはジョンが100%ギター製作に携わる為、他の2人が雑用を受け持つというのだ。そしてJason(ジェイソン)という経理やウェブマスターまでこなす凄腕のお兄ちゃんまでいる。ウェブサイトを持たないカラザース(後で説明するが、余りにギター製作に忙しいジョンは、鳴りっぱなしの電話対応に追われてウェッブどころでは無い。きっと電話も要らないかもしれない)とは大違い。今までジョンは忙しすぎてそういう事をやる時間がなかった。

 『カツトシ、このギター試奏してみなよ。オー 上手いじゃん。グレート!』
ブースの皆にちょっとおだてられて、その気になって色んな人とジャムってみる。その中には、なんとカリズマの初代ギタリストで、今もジョージ・ベンソンのバックアップもしているマイク・オニール!だとか、超凄腕カントリーギタリストのスティーヴ・トラバトとかと(こんなところで一緒にデモ演していて良いの?)。 気がつくと周りには凄い人だかりが。今度はベースに持ち替えて一緒にジャムってみる。今日はラッキー!!


『あなた、本当に上手なのね!』などと言われたら、誰でも悪い気はしないハズ。17th Street Guitarsブースのアーリンちゃん達ともハイ、チーズ!


 今度はスティーヴというめちゃ渋のブルースを弾く初老の紳士が、ジョンの大親友だという事でまた盛り上がり。数日後にこの紳士とカラザースの工房で再会するまで、そんなに凄い人物とは知る由もない無邪気な私。
「スティーヴ、それどうやって弾いてるの?」
『ワハハ、こうじゃー!』
この時に、何となく5、6年前、あの大先輩の岩撫さんとよくバーでジャムっていた時に、「こういうのはTEXASスタイルって言うんだよ!」って言われて、理解しにくい独特な小節のくくりだなあって思っていた、あの感じがスティーヴからは感じられたんだよね。後日そのナゾは判明。

 ほとんどが出展者か関係者のその日は、デモ演担当者としてジャムに没頭してしまい、まともに他のブースも見れずに、また直ぐ後ろのブースにMIKE LULL達が居るのにも気がついてはいたが、声を掛けられずにあっという間に過ぎていった。
『これから一緒に御飯食べようか。カルロス・リオスも一緒だよ』とジョン。
会場を出口に向かっていると、向こうからMr. チャック・レイニーとフィル・ジョーンズ氏。ジョンにフィルさんを紹介してもらう。チャック・レイニーが使用している小型で高性能なAMP“フィル・ジョーンズ・アンプ”のオーナーだ。
「貴方の製品は日本でも評判ですよ。斉藤さんが輸入されていますよね。」
『オー!そうだJESのサイトーだよ。知っているのかい?』
今度はジョンがオールドフレンドだよとチャック・レイニーを紹介してくれる。
「ミスターチャック、一度東京で一緒にお食事しましたよね。自由が丘で。」
『オー!思い出したよ。カツトシ!そういえばカトーは元気なのか?』
「ええ、あの時あなたに説教されて、ますます精進しているそうです。」

 Soulやモータウン、また70年代R&B好きが集う、自由が丘駅近くの線路とリハーサルスタジオに挟まれた格好のロケーションにあるバーで、ベーシストのレイニー加藤さんが経営している。店の名前はチャック・レイニーにちなんで“レイニーズ”。若いミュージシャン達の登竜門でもある。
 以前、わるーいおっちゃんミュージシャン達によく遊んで貰っていた頃の出来事。オーナーであるレイニー加藤さんは、来店した憧れのチャック・レイニー氏の前で自分の尊敬するチャック節のブリブリ効いたプレイを披露。しかしチャックは、『オレのOLDスタイルはもう真似するな!君は君のプレイを磨け。オレも、もうそこには留まって無いんだから!』と。
恐らくチャック・レイニーは親心からそうレイニー加藤さんに助言したようだったが、しこたま飲んでいた我々は、ただただチャックの言葉にうなだれるだけの加藤さんを冷やかし撃沈させた思い出がある。(でもあのチャック・レイニーから直々にアドバイスを受ける、ミュージシャンとしてこんな光栄な事は無いと思います。)
その日のブルーノート東京でのギグで、最新型のベースを使い、かってのプレイスタイルから脱皮しようと試みていたチャック・レイニーに度胆を抜かれた我々の8年前であった。プレベでグルーブを基調にという、かってのスタイルでは無かったので当時は衝撃的だったなあ。

 『そうか、また会ったらよろしく言っておいてくれ』
ジョンカラザースの車で、カルロス・リオスの待つイタリアンレストランへ行く間中、チャック・レイニー氏のスティーリー・ダンのレコーディングでの逸話や、ヤマハBBの開発へ、チャック・レイニーがどのように関わったか等、ジョン・カラザースへいつも質問攻めの私。
NAMM SHOW前日の夜はまだまだこれからなのであった。

続く。


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