話を元に戻すが、フェンダーのオーナー体制が85年2月に CBSからビルシュルツ以下時の従業員達に移った時、現実的には フェンダーという名前を買ったに過ぎなかったそうで、 その頃の新生フェンダー社は小さな事務所だけ、工場などの製造設備は 全く持っていなかったので、1年程は輸入した日本製のギターと 以前に旧工場で制作された在庫を販売していたそうだ。 後に私が88年にこの楽器業界に入った頃でさえ、 人気のフェンダービンストが入荷する時に白と黒ばっかりだったので 「お客さん達はサンバーストのビンストを欲しがっているのですが、 なぜつぶし色ばっかりなんですか?」 と聞いた事がある。 その後工場に行くと、サンバーストを出来る職人がおらず、 現在は塗装工を教育中だという状況だと説明された。 やはりこの頃は相当大変だったのだ。 今のフェンダーの繁栄ぶりからは信じられないが。 ダンスミスと言えば80年代初頭にジョンカラザースと一緒に あのロベンフォードモデルを開発した事もロベンファンの間では特に有名である。 いつもジョンにはそれは詳しく聞いていた。 が、何と今、目の前に居るのはダンスミスなのだ。 (ジョンもその辺にいると思うけれど) ダンスミスが続ける。 『フェンダーロベンフォードモデルはジョンの家の居間で 2人でデザインしたんだよ。たった一晩でね。 ジョンはYAMAHAやアイバニーズの多くのギターのデザインや設計に 関わっていただろう?フェンダーとしても全く新しいコンセプトで デザインするにあたってジョンに依頼したんだ。 これはフェンダー社として社運をかけたプロジェクトでもあったんだ。』 ダンスミスの功績で評価する事の一つに、YAMAHAセールスの時に培った 彼のマーケティング能力があげられると思う。 フェンダーエリートエスプリ(後のロベンフォードモデル)は どのようなコンセプトで開発されたギターなのか? 『どうしてフェンダーなのにセットネックにしたのかって? それは良い事聞いてくれた! 当時西海岸のこの辺りのLAスタジオミュージシャン達には ギブソンES-335が流行っていたんだ。 ところが、当のノーリン(1970年〜86年までのギブソンの親会社)は ビジネスで苦戦していた。 だってスタジオミュージシャンは皆古いES-335しか使っていなかっただろ? 新品のギブソンES-335はミュージシャンには評判が良くなかったので、 これはチャンスだ。ギブソンのシェアに乗り込むぞっ! 古いギブソンES-335より良いギターを開発してゴッソリ乗り換えてもらうぞ! そこでES-335のシェイプをよりソフィスティケイト 、 ハイポジションまで切り込んだダブルカッタウェイの良質なセットネックの (カラザースのお家芸であるスーパーセットネック構造) 抜群のプレイヤビリティ。ハムバッカーサウンドとフェンダーの トレードマークのシングルコイルにもスイッチィング出来て、 かつフィードバック無しのスイートトーン、 ベンディングを多用するスタジオミュージシャンに 今人気のベース用ビッグフレット、 ニューデザインのインレイを施した高級なエボニー指板、、、』 つづく・・・・ |
写真の説明 全世界初公開!オリジナルフェンダーエリートエスプリ(ロベンフォード)設計図その1 |