ダンスミスとジョンカラザースは YAMAHA USAの時期を経てその後も かかわり合いは続く。 ダンがフェンダーに引き抜かれた当時、 ジョンカラザースはダンとそのYAMAHA時代の 同僚達に君もこちらに来てフェンダーを 一緒に立て直してくれないか?と カスタムショップのアイデア (当然発足前)と共に誘われたが、 その時すでにここの工房を (ジョンはさかのぼる事数年前から 自身の工房を立ち上げており、 81年に手狭になり現在の場所に 広く新たな工房を構えた) 初めた頃だったので、フェンダー社には行けないが 仲間が困っているのであれば最大限に手伝うと 81年頃からずっと毎週月曜日にフェンダーに行き 同じくツーリングや機械の設計開発等を やっていたそうである。 その頃フェンダーのピックガードは ジョンがこの工房で製作して フェンダーに持って行っていたそうである。 (先日その頃のフェンダーのピックガードが 工房の裏からゴッソリと出て来た、というより ”引っぱり出して見せてくれた”) またパーツやギターの設計、 有名なところで言うと初期の クラプトンモデルのミッドブースト回路の設計等、 この頃フェンダーの開発の多くを手伝っている (この仕事はロイヤリティが未払いのままだと言っていた) またカスタムショップが特集されている本に 写真が必ず出ている ”ネックデュプリケートマシーン” のシステム一式はジョンが設計/製作して フェンダーに納めていて、世界に2台しかない 全く同じものがもう一台ジョンの工房にある。 また、ジョンは オリジナルフェンダーロベンフォードモデル (開発時のネーミングはエリートエスプリ) 等の多くのギターもデザインや開発している。 (ここらの話はTony Bacon著 "THE Fender ELECTRIC GUITAR BOOK" にも記されているし、トークユアドーター発表後の ロベンのインタビューでも詳しく語られている。 こちらでロベン関係の資料は当時の オリジナル設計図を保管しているので いずれまたの機会に特集します。) そして先に述べた製造設備の設計等、 ジョンは何年もかけてフェンダーに尽力し、 文字通り”第4の男”として 製造現場の足掛かりを整えた。 ”ナンバー0000 ジョンカラザース コンサルタント(相談役)” と記されているジョンが昔使っていた色褪せた フェンダー社の社外者用の入館証が この工房の片隅に置いてある。 フェンダー社外の人間でありながら 5人目の重役と言われるジョンカラザースの存在を フェンダー従業員達は ”陰の男” と呼んでいたそうで、 本人曰く ”フェンダーの007(ダブルオーセブン)だったんだよ” なのだそうだ。 |
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