2009年4月ジョン・カラザースの記念すべき誕生日パーティーが盛大に行われました!・・・part4


次はダンスミスDan Smithがやって来た。
現在のフェンダー社の繁栄があるのは、
いやギター業界のマーケットがこんなにも大きくなったのは
決して彼だけの力ではないものの、
しかし間違いなくその多くを担ってきた偉大な人物である。


彼の功績はざっとこんなところだ。
70年代後半のフェンダー社はオリジナルオーナーである
レオフェンダーの健康上の理由から1965年にCBSに売却された。

しかし楽器製作の経験も無かった同社経営の元で
長年の設備投資を怠り、質の悪い楽器を製造し続けてきた為に
業績が危うくなってしまった。
若い方は今のフェンダー社の活躍からは想像しづらいと思われるが、
当時フェンダー社の業界内でのイメージは

”ソリッドエレキギターを創って、かっては繁栄していた会社”

だった。
その後日本の会社にまで売却の話を持ちかけていたので
この頃の楽器業界の方はご存知だと思う。

そういえば、私がこの業界に入った当時もこんな経験がある。
高校生にフェンダーストラトを薦めると
『ヒゲの昔の人とかが使ってそうで、
なんかヘッドもボワっとしてダサイっすね。』
なんて言われたりした。

一方のギブソンもボディがユニオンジャックのペイント、
リアハム一個にケーラートレモロ付きのエクスプローラーという
最新なのかダサイのかなんだかムリしているとしか思えない
恥ずかしいルックスでトレンドと微妙なズレを埋められずに苦心していた。


当時は速弾きLAメタルがキッズには人気で
いわゆるジャクソンタイプのトンガリヘッドにディンキーボディ、
リアには必ずハムバッカーでフロイドローズがギターの必須条件だった。
80年代は老舗フェンダーとギブソンにとって品質以外にも
さまざまな問題を抱えていた時代であった。






さて、そんな状態の真っ只中にCBSは
新しい幹部を外部の会社である
USA YAMAHAより引っ張ってきたのだ。

その時の人物ビルシュルツBill Schultz(後のフェンダー社CEO)や
ジョンマクラーレンJohn McLaren(レオの没後にG&Lの経営者となる人物。
87年当時日本に初入荷したBBEマキシマイザー使っていましたよ。)
以下数名と一緒にやってきた彼は、副社長やR&D部門責任者、
カスタムショップ責任者等、ここ20年以上に渡っての
フェンダーの実務部門の最も重要な役割を果たして来た。


そして会社は80年代90年代と次第に盛り返し、
遂に現在のフェンダーはかってない程繁栄するのである。

そんなフェンダーはもとより楽器業界全体でも、
”最重要人物”の一人である氏の活躍ぶりの活字になっている記事は
英文和文に関わらず殆ど読んでいた。

ここ十数年のフェンダー関連の本が出版されれば、
必ず彼の名前はどこかに書かれている。
そんな凄い彼もここではジョンの長年の親友の一人であるという。
「あなたは何度も日本にいらしてますし、
ここ10年ジョンに機会があれば、いつもあなたの事を聞いていたのに
実はこうやってお会いするのは初めてですね。」

『僕は君の事をジョンからいつも聞かされているよ。
楽器業界の事やミュージシャンの事をとても詳しく調べあげているってね。
ジョンの記事も詳しく書いているらしいね。』
との応え。

大変光栄です!


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