アメリカ本国でのインタビュー(その1)


 今月のビルダープロフィールはニュージャージーはブルームフィールドにあるフュークス・オーディオ・テクノロジーにスポットライトを当てます。

 私はオーナーであるアンディ・フュークスを彼のショップに訪ね、なぜ彼が多くのミュージシャンから本物の“チューブアンプ・スペシャリスト”と呼ばれているかを解明してゆきます。
 アンディのオーバードライブシュープリームは、今もあの神聖なるダンブルアンプと比較され続けています。もっとも最近のエンドーサーであるケニー・ウエインシェパードや、優れたミュージシャン仲間達が認めてきたこのアンプは“超ゴキゲン”なのです。
今月は本当にスペシャルな“ビルダープロフィール”です!


>アンディ、あなたがいつアンプに触れ、今までどんな方法で学んできたかなど、バックグランドを聞かせて下さい。

 私は音楽のあふれる家族の中で育ちました。父はギターとアンプを売り、音楽教室もある小さい楽器屋を運営していました。それから父はバンドの機材を修理していました。
学校が終わると、私は床の掃除や物を磨いたり電話の応対をしていました。今思うに、父はきっと私が店の中で毎日ギターを弾いているのがイヤだったんでしょうね。テレビ屋さんを経営している友人に私を雇ってもらえるように仕向けました!
その店では、たまたまアンプ修理を始めましたので、ギターアンプやテレビ、チューブのオーディオ装置の中身を見る事が出来たんです。私はそんな彼の側に居られて幸せいっぱいでした。オーナーはロングアイランドからの退役軍人エンジニアでした。リタイヤ後、テレビ屋を開業したんです。そういった環境下での電話の相談や出張テレビ修理など彼の手伝いから、私は失われたチューブの芸術を学ぶ機会に恵まれたのです。彼は古い海軍や空軍のエレクトロニクスの訓練マニュアルを私にいつでも伝授してくれました。学んでいる内に、私は家に帰ってもハンダ付けや実験の虜になってしまいました。やがて、ジャック・ダーの本が記した概略図からアンプ作りをはじめた時も手伝ってくれ、助言してくれました。どちらかといえばその頃から本格的になったんだと思います。

 その後、アースサウンドリサーチ社に職を得ましたが、同時にロングアイランドのニューヨーク48丁目のミュージックシーンでもアンプ修理をしていました。やがてハイエンドチューブ機器を作っているニューヨークオーディオ研究室の為の生産施設を運営する事となり、後には東海岸の中でも大きいトリプルエレクトロニクス社の修理施設のオーディオ研究室の設立にも関係しました。

>最初にフュークスブランドを名乗った製品は、いつ頃、どのような物でしたか?

 80年代にミュージックマンのアンプをバラしてパワー部も真空管にホットロッドにしたものです。もちろん、それら(ストックのままで)はラウドにプレイしてもクリアーサウンドにおいても信頼のおけるモノでしたが、プリアンプがソリッドステートだというところが欠点でした。
そのホットロッドを持ってロングアイランドへ出向き、ダイモテープラベルで一 回分のブランドロゴを作って上から張り付けたというものです。
 1997年の終わりにはベースマンのシャーシを利用し、初期のODSアンプをいくつか組み上げました。そして地元のオープンジャムやNY地下鉄構内での夜のブルース演奏にそのアンプを持って行きました。やがてそれを見た人々に「あなたのアンプを弾かせてもらえますか?」から「おい、オレにもこいつを作ってくれないか?」というように口コミされて行きました。
1999年、ウェブ上での立ち上げを開始すると実に反響が凄くなってきました。

 私はその中で、シャーシの材料の種類やトランスの違い、配線の配置方法がトーンに与える影響が絶大な事を悟りました。大抵のオーディオ製品はアルミニュームシャーシを使い配線されていますが、ギターアンプの場合、軍用スペックのパッシブパーツをこれらの素材に組み合わせて使うと実はトーンに影響が出始め、さらにノイズを拾ってしまいます。
ギターアンプにとってこういった選択は間違いですが、生産/改良の類いは全く逆でオーディオファイルやスタジオ機器での多くの経験が役に立ちました。

(ビルダープロフィール/By トレント・ソルター)


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